19世期は黄金時代
ヨハン・セバスチャン・バッハが世を去ったのは1750年ことである。
クリストフォリがピアノのアクションを発明したのが1700年頃。バッハが活動していた頃ピアノは静かに歴史の舞台に登場し始めていた。実際バッハは1747年にジルバーマン製のピアノを弾いたらしい。
現在、バッハの作品をチェンバロで演奏するのか、ピアノで、あるいはクラヴィコードで演奏するのか、これは弾き手の考え方の問題であり選択の余地がある。もちろんピアノを学んでいる人にとってピアノでインヴェンションを、プレリュードとフーガを演奏することは自然なことだ。しかしもしチェンバロに触る機会があればぜひ試して欲しい。筆者も芸大に進学し、はじめてチェンバロでバッハを弾いたときには、ピアノとのあまりの違いに驚き戸惑いつつも、音楽と楽器の相性の良さに感動した。
しかしショパンの作品ということになれば、これはもうピアノで演奏することに迷いはない(モダン楽器で演奏するか、あるいはより古いタイプの楽器を選ぶかという選択はあるかもしれないが)。ショパンの音楽はピアノのために書かれピアノという楽器の可能性を最大限に引きだす音楽だ。ショパンに限らず、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、リスト、ブラームス、ドビュッシー、ラヴェルなどの作曲家が書いたピアノの名曲達が、20世紀を通じて、そして21世紀の現在でもスタンダードなレパートリーである。これらの作品が生まれた中核的な時期はすっぽりと19世紀に重なる。
この世紀こそピアノ音楽の黄金時代だった。
ベートーヴェン
それではこの時代のピアノ音楽を概観してみよう。1789年のフランス革命を経て、市民社会が成熟することで音楽家のマインドが大きく変わった。これまで音楽家は教会や宮廷に雇われ、保護を受けて作曲し演奏してきた。ところが新しく生まれた市民社会においては、そのような保護が失われるのと同時に、音楽家は雇われ主の「ために」活動するという足枷がなくなった。ベートーヴェンの音楽は神のため、宮廷のためではなく、自分のため、あるいは理想化された聴衆のために書かれている。
その表現は必然的に誠実な「自己表現」となる。「私はなぜ作曲するのか。心の中に持っているものは、外に出ないといけないからだ」(ベートーヴェン)。
ベートーヴェンのピアノ音楽は、ピアノという楽器のスペックが日進月歩だった時期に書かれたため、楽器の進歩と書法の変化が対応している。有名なピアノソナタ「ワルトシュタイン」は音域の違う2種類のピアノで作曲されたために、演奏可能な最低音、最高音にズレがあったりする。
もちろん現代のピアノでは問題なく演奏可能だが、当時は楽器の音域は拡大中であり、楽器によっては作曲家が意図している音がないという事態があり得た。ベートヴェンの作品は、絶えず新しい表現に挑戦していたベートーヴェンのアグレッシブな姿勢を伝えるドキュメントとなっている。
ピアノソナタ「熱情」の冒頭の強弱の極端さは、感情の激しい振幅に対応する。こうして、自分という人間の感情の動きをダイレクトにカタチにするような創作スタイルが生み出された。音楽史的にはベートーヴェンは古典主義からロマン主義への過渡期の作曲家とされており、続くロマン派の作曲家に与えた影響は絶大だった。
【ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン】
引用:Wikipedia
ショパンとリスト
ショパンは19世紀のピアノ音楽のイノベーターであり多くの面で表現の可能性を広げたが「ノクターン」はまさにショパンらしさを代表するピアノ音楽といえるだろう。
シューマンが「謝肉祭」の中で「ショパン」というタイトルで肖像を描いた時、シューマンの頭の中にはノクターンの響きがあったことは間違いない。左手の幅広いアルペジオをダンパーペダルで豊かに響かせ、右手が息の長いメロディーを「歌うように」奏でるスタイル。時折コロラトゥーラ的にメロディが装飾される。それはもう人間の声の能力を遥かに超えて、細密画のように細かく華麗な装飾であり、ピアノならではの表現。
「ピアノの詩人」の面目躍如である。音楽を通じて、ショパンの人間性が伝わってくる。ジェントルでメランコリックな男の肖像がある。
【フレデリック・ショパン(マリア・ヴォジンスカ画)】
引用:Wikipedia
鍵盤音楽の歴史の中で「エチュード=練習曲」が果たしてきた役割は大きい。
エチュードはピアニストの演奏技術の拡大という面だけなく、作曲家視点から書法の拡大を目指す「実験場」的な面があった。フランツ・リストの「超絶技巧練習曲」は名前のものものしさが作曲家の意気込みの強さを語っているし、実際すでに「技術の習得」という目的を遥かに超えた、立派なコンサート用の楽曲に高められている。
19世紀の楽器の名人を「ヴィルトゥオーソ」と呼ぶが、彼らの登場と活躍は、現在でいえば羽生結弦さんが注目されるのと似たような側面があるかも知れない。音楽には(良い意味で)スポーツ的側面がある。
速く正確に大音量で演奏できることは価値が高いのである。
肉体の限界に挑戦する姿、そして挑戦のために精神的に苦しむ姿、ここには人間のマゾヒスティックな本能をくすぐる部分があるし、容易にエンターテインメント化するのである。
そして必ず「いや音楽はそういうものではない」という一派のアンチテーゼがあり、「いや速いことは素晴らしい」という擁護派があり、ある種の音楽がその相克の中で発展したのも間違いない。それはポピュラー音楽でも同じだ。リストが体現しているのは、現在にも通用するそのようなストイックでヒロイックな人間像と言えるかも知れない。
【フランツ・リスト】
引用:Wikipedia
続くフランスを中心とした印象派や、北欧、ロシアを含むスラブ諸国、スペインなどのいわゆる国民楽派でもピアノは大活躍。19世紀はピアノ音楽の花盛りであった。もちろん20世紀にも重要な作品はたくさん生まれた。
ジャズ・ピアノの歴史
筆者はジャズ・ピアニストなので、どうしても、20世紀を代表する音楽芸術であるジャズを取り上げたい。
ジャズは上記のクラシックの連続性の歴史とは全く違った場所から生まれ、それにも関わらず20世紀を通じて発展し、豊かで複雑な音楽芸術となった。そしてジャズにおいてもピアノという楽器は最初期から現在に至るまで中心的な楽器であり続けている。
ジャズは1900年頃アメリカのニューオリンズで生まれた。ジャズの初期の発展に大きな影響を与えたのが、ラグタイムとブギウギである。どちらもピアノ音楽であることがジャズの歴史の中でピアノが得た重要なポジションをすでに予見させる。
ジャズの歴史に大きな足跡を残したピアニストを少し紹介したい。
アート・テイタムは盲目のピアニストであったが超人的な技巧と新しく複雑な和音のコンセプトで天才の名を欲しいままにした。ホロヴィッツもその演奏に接して激賞したと言われている。
それから、バド・パウエルが、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーが生み出した「ビバップ」というインプロヴィゼーション主体のジャズの語法を完全にピアノに落とし込むことで、新しいジャズ・ピアノの時代を切り開いた。ビバップが開いた地平では、ジャズはもう大衆音楽である段階を抜け、人間の知性と感性の限界にチャレンジし続けるスリリングな芸術となり、音楽家に高いプライドと自意識をもたらした。
この意識改革は19世紀ヨーロッパの再来とも言える。ベートーヴェンが貴族や宮廷のために書かなくなったように、ジャズミュージシャンも、まず自分の表現を極限まで高めることに集中し、そしてそれを受け入れてくれる「理想の聴衆」のために演奏する。多分に理想主義的な考え方であり、ビバップ期のミュージシャンは活動当時に十分に報われたとは言い難かった。
チャーリー・パーカーもバド・パウエルも若くして不遇のうちに没した。
「自己表現」の音楽
その後は、キラ星のごとき才能の花盛り。オスカー・ピーターソン、ビル・エヴァンス、チック・コリア、ハービー・ハンコック、キース・ジャレットらエース級のピアニストが世界的評価を勝ち取り、名声と富を得るべくして得られる時代となった。
彼らのピアノ音楽はあまりにも多様で一言で言い表すことはできないが、共通して言えるのは、19世紀の壮大なピアノ作品に全く遜色ないレベルで豊かなピアノ音楽を生み出している点だ。
強弱の振幅の大きさ、ダイナミックな力強さ、歌うようにメロディーを演奏すること、ダンパーペダルを巧みに使い豊かなソノリティーを生み出すこと、そしてジャズならではの最も重要な点だが、強力なリズムをはっきりとしたアタックで繰り出すことなどである。そしてクラシックと決定的に違うのは、常に「インプロヴィゼーション」として表現している点である。
ジャズは非常に懐の広い音楽で、ノリやすく楽しみやすい音楽から、哲学的で晦渋な音楽、プロのミューシジャンにも解析不可能なほどに複雑な音楽まで多種多様だ。
しかしベートーヴェンが見せてくれた「自己表現」の考え方は、歴史的に連続しているのではないだろうか?
筆者が思うに、心を動かすジャズは何よりも純粋に自己を表現しているジャズである。「純粋でない」ことはもちろん悪いことではない。何らかの目的に仕える音楽が良質で感動的なことだってありうるだろう。踊るための音楽、ハイになるための音楽、気持ちを沈めるため音楽、入眠に適した音楽、レストランで食事を美味しくする音楽。
どれも尊い使命かもしれない。しかし、本当に音楽を愛している者ならわかると思う。「自己表現」(単なる感情のということではなく、その人の人格、歴史、存在の表現)が貫徹されている音楽にこそ、人は感動するのである。