「才能ははじまりに過ぎない!」――ショパン・コンクールと配信文化(後編)

「才能ははじまりに過ぎない!」――ショパン・コンクールと配信文化(後編)

神保夏子(音楽学)

エンタメ化する国際音楽コンクール

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20世紀中葉、国際音楽コンクールが一種の世界的なスター輩出システムとして確実に機能していた時代があった。マルタ・アルゲリッチやマウリツィオ・ポリーニ、ウラディーミル・アシュケナージなどが名立たるコンクールで優勝や入賞を重ねていた頃である。もちろん今日の国際音楽コンクールにおいても「スター」が生まれないというわけではないが、そうした機能は以前のそれと比べるとやや弱体化し、背後に退いているように見える。

第7回ショパン・コンクール(1965)の優勝者、マルタ・アルゲリッチ(写真:The Frederic Chopin Institute

2021年10月21日の朝日新聞の記事は、今回のショパン・コンクールを「一級のエンタメ」と評し、今日の音楽業界における国際音楽コンクールの機能の変質を以下のように指摘した。

ひとつだけはっきり言えるのは、今回のショパン・コンクールがもはや、
かつてのような「若手の登竜門」ではなかったということだ。ほとんどの国際コンクールが、
今や音楽ビジネスにおける重要なエンターテインメントとなっているという現実を今回、
ショパン・コンクールは明瞭に可視化した。

こうした「登竜門」的機能の弱体化の背景には、20世紀後半以降の国際音楽コンクールの激増により入賞の価値が相対的に下落したことに加え、現代の音楽シーンにおいてクラシック音楽そのものがマイノリティ化してきたという現実がある。昨今の国際音楽コンクールは単に若い才能を「発掘」するだけでなく、アーティストの(そしてクラシック音楽そのものの)プロモーション装置としての意味合いをも強めている。オンライン配信やソーシャルメディアをも駆使したコンクールの「エンタメ」化の進展は、まさしくその一つの戦略なのだ。

About meの重要性

このエンタメ化(ないし大衆化)の流れとともにますます重要性が高まっていると思われるのが、コンクールにおける純粋な演奏以外のコンテンツである。オンラインでのコンクール視聴において、メインの鑑賞対象となるのはいうまでもなく各ステージでの参加者の演奏動画であるが、それらは実際には他の様々なサブコンテンツ(文学理論研究者のジェラール・ジュネットならそれを「パラテクスト」と呼ぶかもしれない)によって豊かに彩られている。

たとえば今回のショパン・コンクールでは、予備予選段階からの全参加者の演奏動画がオンラインアーカイヴで視聴できたが(膨大な量である)、そうした参加者の一人一人に対し、一般的なプロフィールの記述やアーティスト写真のほかに、「About me」という人物紹介動画が用意されていた。この動画からは各出場者の人となりやショパンの音楽に対する考え方などを見て取ることができるが、人によってはそこに子供時代の演奏動画が挿入されていたりもするので、まさに上記PVのリアル版といった趣がある。予選を勝ち抜いたコンテスタントには更に追加のインタビュー動画も用意され、ファンは目当ての演奏家がいったいどのような人物で、何を考えて参加しているのかをいっそう詳しく知ることができる。

【第18回ショパン・コンクールの動画コンテンツ例】
第一位 ブルース・リウ
第四位 小林愛実

このように、最終的な優勝者だけでなく出場者一人一人を魅力的なアーティストとして提示する姿勢は、弱肉強食の勝ち抜き戦といった色合いが強かった過去のコンクール・カルチャーへの反動でもあろう。こうした空気は、近年の国際音楽コンクール全般においてみられるものであり、ショパン・コンクールも属する国際音楽コンクール世界連盟のガイドラインとも密接な関係があると思われる。

ショパン・コンクールのオンラインプラットフォームでは、もちろんショパンや彼の作品自体に関するコンテンツも配信されていた。たとえば公式サイトのcompositionsというタブを開けば各ステージで演奏されるレパートリーについての簡単な解説を英語で読むことができるし、YouTubeチャンネルでの視聴者からのコメントに対し、ショパン自身の言葉を引用でつぶやいてくれるChopin Ch@tというサービスなどもあった。とはいえ、そうしたサイトから覗き見ることができる情報の充実度は、明らかに「作曲者」や「作品」よりも「競技者」と「ファン」の世界の方に振り切れていた。

アウトリーチとしてのコンクール配信

こうした国際音楽コンクールのオンライン配信は、これまでならリーチできなかったような種類のオーディエンスにも、演奏やコンクールに関するさまざまな情報を届けることとなった。インターネットを介してコンクールの関連コンテンツに触れるのは、ストリーミングを最初から最後までリアルタイムで聴き続けるような「真面目な」ファンばかりではない。ネット視聴者の集中力はただでさえ途切れやすい。個人の関心や生活リズムに合わせて、膨大なアーカイヴのごく一部だけを切り取って視聴するオーディエンスのほうが圧倒的に多いだろう。彼らの関心を引き付け続けるためには、対面イベントに付随する臨場感を補完するようなやり方で、オンラインならではのコンクール鑑賞の在り方をあの手この手で構築してやる必要があった。

ショパン・コンクールで披露される演奏のレヴェルがおしなべて非常に高いものであるということは言うまでもないが、ショパンの練習曲やバラードやマズルカや協奏曲の演奏動画そのものは、今日インターネット上に数限りなく存在している。一方、音楽それ自体とともにコンクールというイベントの重要な要素を構成するヒューマン・ドラマは、グローバルな仮想空間のオーディエンスに熱く訴えかける。「才能ははじまりに過ぎない!」というショパン・コンクールのPVは、こうした新しい時代のクラシック音楽コンクールの在りようをいみじくも象徴しているのではないだろうか。

神保夏子(じんぼう・なつこ)
京都市出身。
東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業。
同大学音楽学部楽理科を経て同大学大学院音楽研究科博士後期課程修了。博士(音楽学)。
専門分野は演奏文化史、近代フランス音楽史。近年は現代の西洋芸術音楽の演奏文化にコンクールなどの競争制度が与えてきた影響についての歴史的研究を行っている。
共訳書にQ. メイヤスー『亡霊のジレンマ』(青土社)。
東京藝術大学、国立音楽大学、桐朋学園大学各非常勤講師、立教大学兼任講師。

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