E級1位
藤村瑛亮さん
シマノフスキの難曲を色彩感ある演奏で魅了した藤村さんは、現在、東京音楽大学大学院修士2年生。 都内にあるキャンパスでお話を伺いました。――1位おめでとうございます。
藤村さん:ありがとうございます。
――本当に素晴らしい演奏を聴かせていただいて、審査員の皆さんもすごく感動していらっしゃいましたけれども、私たちも藤村さんのような方たちに参加していただけて良かったなと心から思っています。
――ご自身はこれまでもたくさん受賞歴があると思うので、慣れていらっしゃるとは思うんですけれども、この全日本ピアノeコンクールは第1回目のコンクールですので、その初回のE級1位ということになります。実感として、どんなふうにお感じになっていらっしゃいますか?
藤村さん:本選が終わった後、ほかの演奏者の方々の動画も観られるじゃないですか。それを観たときに周りの方たちが動画でもわかるような、派手で聴き映えするような曲を弾かれていたのに対して、僕、弾いた曲の8割ぐらいがピアノとかピアニッシモで。本当に小さな音なので、生じゃないと響きが伝わらないんじゃないかと、他の人と比べて自分はちょっと地味だったかなという印象を受けてしまって、正直1位はまったくないと思っていました。なので結果発表の時、家にいてスマホで見て、上にスクロールしていったときに、一番上に名前が出てきてもうびっくりしました。
――驚きだけですか? 嬉しさもありました?
藤村さん:ほっとしました。。他にも出ようと思っていたコンクールが春から夏にかけていくつかあって、この時期なので全部中止だったり延期になってしまった中、ひとつ目標を持って取り組めたことが良かったですし、それがしっかり結果にも結び付いたので、嬉しかったです。
――さきほど曲がおとなしい曲でとおっしゃいましたが、シェヘラザードを今回弾いた方がすごくたくさんいらしたんですよ。
藤村さん:僕は大学院でシマノフスキについて専門的に勉強していますが、シマノフスキ自体がそんなにメジャーな作曲家ではない上に、この曲もまだまだマイナーなので、一般の方にもこんなにたくさん弾かれていることにびっくりしました。
――審査員の先生方も「どうしてだろうね?」とおっしゃっていて、「流行?」とか。どうしてなんですかね?
藤村さん:それこそ大人とか大学生を含めて一番弾かれた曲なんじゃないかなと思うので、その一番弾かれた曲がシマノフスキとは、ちょっとびっくりしました、僕も。
――他の方のシェヘラザードの演奏はご覧になりましたか?
藤村さん:チラッと拝見しました。――観ていかがでしたか? 動画が観られるということも、あまり今までなかったと思うんですが、そのあたりも含めて。
藤村さん:シマノフスキの楽譜は情報量がものすごく多いのですが、その捉え方や演奏の仕方が人によって全く違っていることにも驚きました。
――そういう見比べができるというのは…
藤村さん:面白いなと思いました。他のコンクールは、当然その場で弾いて終わりで、他の参加者がどういう演奏をしたか、自分が出番じゃないときに客席にいれば聴けますけれども、ああやって一人ひとり全部聴けるというのは、本当に新しくていろんな刺激になりました。
――コンクールも軒並み中止になったとおっしゃいましたけれども、コロナの影響で数ヶ月間、どのようにモチベーションを保っていらっしゃいましたか? 学校も授業がほとんどないですしね。
藤村さん:9 月からキャンパスで授業が行われるようになるまでは、レッスンがずっとオンラインだったので、とてもやりづらい環境でした。でも、昨年まではたくさんあった本番の予定がなくなって、空いた時間でこれまでなかなか触れることのできなかった作曲家の曲を弾くなど、今までできなかったことができたという意味では、決して無駄な半年間ではなかったと思います。
――そんな中でこのeコンクールは第1回目の開催、過去に前例がないということで、躊躇されたり警戒された方もきっと中にはいたと思うんですけれども、藤村さんはどうしてエントリーしようと思われたんですか?
藤村さん:他のコンクールが全部中止になり、明確な目標を持ちたいと思っていたところ、このコンクールを知り、恩師である武田真理先生の後押しもあって、参加を決意しました。
――全部オンラインで審査が行われることの抵抗はありませんでしたか?
藤村さん:特に抵抗はありませんでした。動画審査は前例がないことなので、画面越しでどのように評価されるのかが分からず不安でしたが、新鮮でもあってちょっとワクワクしました。
――従来のコンクールとは違うので先生方からもいろんな意見があって、武田先生も初めは100パーセント同意していたわけではないんじゃないかなと思うんですけれども。
藤村さん:前例がないものはみんな最初は。
――その中で、動画での審査に挑戦してみて良かったことは何ですか? 結構時間を費やすと思いますし。
藤村さん:そうですね、録画したりとか。
――結構撮り直しはしましたか?
藤村さん:僕は一回で撮り終えました。一回に集中しないとだめなタイプというか、撮り直しはしなかったですね。
――予選と本選で順位が変わった方も多かったと思うんですね。本選は一発勝負の撮影ですごく緊張したという声もありましたし。予選のときの自分での録画と違って失敗できないというところもあると思うんですけれども、それが醍醐味でもありますし。
藤村さん:ピアノは弾かれれば弾かれるほど鳴りやすくなりますし、審査員の先生方の耳も鳴れてくるので、実音審査ではどうしても演奏順が遅い方が有利になりがちです。また、生で聴くとものすごく音が飛ぶ人、舞台の中で響きが解決してしまう人もいると思います。動画審査では演奏順によって有利不利もありませんし、演奏についても、その人の音楽性やポテンシャルがよくわかるという良さがあると思います。僕は自分の動画を観たとき、自分の弱点がものすごく目立っているように感じたので、1位ではないと思っていたのですが…
――今回は審査員の先生方に 4 つの項目で評価を出していただいたんですけれども、その点についてはどう思われましたか?
藤村さん:評価が細分化されていることはとても良いと思いました。自分の長所短所が見えてくるので今後の学び方を考える参考になると思います。
――実際予選は 3 人の先生からの講評も送られて、本選に関しては8名ですよね。その評価をご覧になったときに納得できることだったり、発見というのはありましたか?
藤村さん:実音審査と動画審査で評価に大きな差がないことに驚いたと同時に、動画でも伝わるんだと思いました。
――それは審査員の先生もおっしゃっていましたね。「ちゃんとそういうのは画面を通して伝わってくるものなんだよね」と。点数は良いけれど、書いてあることは厳しいというようなことはありませんでしたか?
藤村さん:僕は結構褒められて終わりました。もちろん、こうしたほうがもっと良くなるよというのはいろいろ書いてくださったりしていたんですけれども、曲に対してのアプローチの仕方とかで評価してもらったところは多かったかなと思っています。
――コロナの前は本番が常にあったとおっしゃっていましたけれども、どういうペースで活動していたんですか?学問として学びながら活動もして、という感じですか?
藤村さん:特に昨年度は歴史のある、今活躍されている音楽家だったり、大学で教えている先生方が出られている、登竜門のようなコンクールが一つ去年の 6 月にあって。その飯塚新人コンクールで1位をいただいて、そこから一気にコンサートだったりが始まったというか、コンクールもたくさん受けてはいたんですけれども、入賞者コンサートもたくさんあって、結構コンスタントに本番がくるという感じでした。去年リサイタルもさせていただいたので、その準備だったり、リサイタルに向けての練習という言い方はすごく失礼なんですけれども、場数を踏むという意味で、いろんなところに出向いたりしてコンサートもさせていただいたりして。
――ごめんなさい、勉強不足なんですけれども、コンサートとリサイタルというのは全然別物なんですか?
藤村さん:そうですね。リサイタルは僕一人で、聴いてくださる方も僕だけのために来てくださるという意味ではものすごくプレッシャーがあって、他のコンサートだと、呼んでいただいて出たりとか、僕以外にも出演者がいたりして、緊張感の度合いが違うというか。リサイタルのときはとても緊張していました。
――普段から緊張するタイプですか?
藤村さん:あまりするほうではないと思うんですけれども、初めてのリサイタルでもあったので、去年は。もう本当にすごい震えていました。弾いてしまったらあっという間に終わってしまったんですけれども。舞台に出てしまったらあとはもう弾くだけという感じで。
――そうですね、始まってしまえば。
藤村さん:なので、弾いてからは全然良かったんですけれども、数日前は「どうしよう、どうしよう」と思いながら… 大変でした。
――そうやって考えると本当にお忙しい日々を送ってこられて、ちょっとぽっかり空いてしまった半年間、という感じ。このままの速度でいくのかなと思いきやという感じですよね?
藤村さん:そうですね。結構上り調子にいっていた時だったので、「こんな時にこうきちゃうか?」と思って。
――自分の思いもよらないことですもんね。
藤村さん:そうですね。ショックがちょっと…
――ありました?
藤村さん:はい。
――リサイタルとかそういったこともやりながらコンクールに出るという意義はどういうところにあると思いますか?
藤村さん:コンクールは頻繁に出させていただいているんですけれども、とにかく場数を踏み続けるということを一番に思っていて、大学に入ってからとにかく片っ端から受けて受けてという感じで、常に本番で弾くという耐性をしっかり身につけたくて出続けたという感じなんですけれども。
――本番の感覚みたいなものですかね、練習を積み重ねるのとは違う、誰かに聴いてもらうとか評価してもらう場ということですよね?
藤村さん:はい。練習と本番は全然違うんですけれども、それこそ今こういうふうに話したりしているのと、友達と何気なく話ているのも全然違うし、普段と違う自分というのも表れるという意味で、本番となるとそっちが出てくるわけだから、その自分にもしっかり慣れるというか。そのときの自分の演奏を客観的に捉えていきたいという意味でも、人前では弾かなきゃいけないなというのはすごく思いますね。
――大学院、今2年生ですよね?
藤村さん:そうです。
――キャリアとしてはどれぐらいになるんですか? ピアノに初めて触れたのはいつですか?
藤村さん:初めて触れたのは5、6歳ぐらい。大体幼稚園のあたりというふうに何となく認識しています。
――どういう環境で触れたんですか?
藤村さん:もともと姉がピアノをやっていて、やめちゃったんですね。
――お姉さまが?
藤村さん:そうなんです。でも、ピアノだけ残っちゃうじゃないですか、当然。誰も弾かないのはもったいないということで、ちょうどその時におもちゃみたいに鍵盤を、何も弾けるわけではなくて、こうやって押して遊んでいるのを見て、習わせてみようかなと、親が勧めてくれて習い始めてという感じです。
――習い始めたのは5歳じゃなくてもうちょっと経ってから?
藤村さん:5~6歳かなとは思うんですけれども、ちゃんと覚えていなくて。
――記憶がない中で、なんとなく身近に気づいたらあった?
藤村さん:なんとなく、ご飯食べる、歯みがく、顔洗うみたいな感じで、ピアノ弾く、みたいな。その時からなんとなくルーティーンとしてはできていたかなと思います。
――親御さんが勧めてとなると、ご自分の中では最初のうちはよくわからなくても、小学校とかに上がったら「何でやってるんだろう?」とか、ある時気付くというようなことがあるんじゃないかと思うんですけれども、そういう疑問とか、やめたいなというのはなかったんですか?
藤村さん:僕は全然そういうのはなくて、というのも他に、特に小学校の低学年のときにこれという特技がなくて、ピアノはそんなにみんな弾けるわけではないというのもあったりして、ひとつの自分の武器みたいな感じだったのと、当時通っていた音楽教室に行って習っていたのも結構楽しくて、「なんで習っているんだろう?」とは思わずに、「楽しいな」と思って続けてきた感じです。
――その音楽教室はピアノの専門の教室ではなくてということですか?
藤村さん:ピアノの教室なんですけれども、もともと先生は声楽をされていた方で、ちょっと異色の音楽教室なんですけれども、そこでずっと習っていった感じです。
――お家のピアノは、最初はどういうピアノだったんですか?
藤村さん:電子ピアノです。
――グランドピアノを購入したのはいつですか?
藤村さん:音高に入ってからです。電子ピアノが弾きすぎて壊れてしまって、次にアップライトピアノ、そして、音大進学を決意して、音高に通い始めたときにグランドピアノに買い替えました。小さな頃からグランドピアノで練習している方も多い中、自分は異色かなと。自分にとっては、楽譜を読む力などを養うことの方が、道具を揃えることよりも大切なことだったのではないかなと思います。
―― ご両親は音楽は経験ないんですか?
藤村さん:まったくです。父親が吹奏楽とかやってたかなという感じですけれども、全然専門的なことじゃないです。
――クラシックを聴かされていたとか、よくお家で流れていたとか?
藤村さん:全然なくて、ポップスが流れているという家でした。
――小学生の頃はコンクールには出ていたんですか?
藤村さん:全く出ていませんでした。親も先生もまさか音大に行くとは思っていなかったと思います。なので、ただ単に教則本、例えば、バイエルやソナチネなどをなんとなく進めていて、ときどき自分の好きな曲を弾くぐらいの感じでした。親も合唱コンクールで弾けるようになったらいいなぐらいにしか思っていなくて、自分も親もこんなモチベーションだったので、もう全然コンクールなんてとんでもない。
――いつぐらいからコンクールにチャレンジし始めたんですか。
藤村さん:自分が高校を受験するときに、どういう高校に行こうか進路で迷っていて、あまり他にやりたいことが見つからなくて、ピアノは好きでずっとやっていたので、軽い気持ちとまではいかないまでも、好きならそういうほうに進んでみようかなと思って。それで専門的なことも学びつつ、「音大に行くんだったら、コンクールとかも受けてみなきゃね」と先生に勧められて、そこからですね。だから、中学2年生ぐらいから。だいぶ遅いですよね。
――進路を見据えた上で、ということですか?
藤村さん:そうですね。「ちょっと出てみれば?」みたいな。
――成績はどうでしたか?
藤村さん:初めて中学の時に受けたコンクールで、実は1位だったんでびっくりしたんですけれども、そのコンクールは副賞としてイタリアに行って、イタリアの劇場で弾かせてくれる特典があるコンクールだったんです。
――何というコンクールですか?
藤村さん:イタリア協会のコンクールなんですけれども、初めてコンクールに出て、いきなり 1位なんてどういうこと?! とびっくりして。他にコンクールは全然受けていない状況でイタリアへ行って、イタリア人がたくさんいる中で弾いて。何もわかんなかったからこそ、怖いものなしで弾いちゃったんです。
――すごいですね!
藤村さん:それがあって、ひとつの自信になったというか。引き続き高校でもコンクールを受けて、成績があまり良くなかったことももちろんあったんですけれども、積極的に取り組めたかなと。
――特に小学生で男の子でピアノ習っている子はすごくたくさんいると思うんですけれども、中学でやめちゃったり、部活とかを含めて、勉強も忙しいからなかなか両立できなくてという子もすごく多いと思うんですけれども、それでもやめずに、なんとなくのモチベーションだったけれども、やめなかったんですね。
藤村さん:逆になんとなくだったからこそ続いているのだと思います。誰かに指図されてやっていたら、僕はピアノをあまり好きになっていなかったと思います。自由だったからこそ、やりたいように弾いて、だから嫌いになったりせずに続けられたのが良かったなと思っています。
――そうなんですね。
藤村さん:結局は本人が好きかどうかで全部決まると思うんです。小さい子だとある程度親御さんが引っ張ってレッスン連れていったり、いろんなコンクールに出させたり、親御さんの力である程度のところまでは伸びると思いますが、そこから専門的にと考えたときに、本人がどう弾きたいかというところにつながると思うので、本人がこの曲のこういうところをこう弾きたいというものが薄いと、評価も結果的に物足りない、もうちょっと伝わってくるものがあったらいいのになと、たぶん審査員の先生方にわかると思うんですね。自発性の部分。 結局その演奏者がどう弾きたいのか、小さい子もそうだと思う。もちろんいろんなパターンはあると思いますが。
――主体性みたいなものが芽生えることに、どこかで賭けているという親御さんも多いのではないかと思います。
藤村さん:僕はゆとり世代の申し子なので、音楽教室でも先生から強く叱られることは少なくて、逆に小さなことでも褒めてもらえたので、ピアノを弾くことが好きになったんだと思います。好きなことに時間をかけることは苦にならなかったし、そんなにたくさん練習をしていたとは思いませんが、好きなりに時間を忘れるくらい長く弾くことが生活の一部になっていたので、結果的に良かったと思います。
――中学生の男の子がピアノをやっていて、周りから「どうしてピアノ?」というような反応はありませんでしたか?
藤村さん:趣味程度と言っても、音高に進学できる程度のレベルでした。ただでさえピアノを習っている男子が少ないのに、その中でこんなにピアノを弾けるというのは自分の武器だと思っていたので、逆に胸を張ってピアノが好きだと言えるものでした。
――そこはやはり先生が良かったんでしょうか?
藤村さん:そうですね。褒めて伸ばしてくれていたんだと思います。例えばバイエル、ブルグミュラー、ソナチネと、だんだんレベルが上がっていくなかで、同世代の子とのライバル意識が教室の中にあって、抜かしてやろう抜かしてやろうととにかく練習をしていました。
――負けず嫌いですか?
藤村さん:それはあったかもしれません。負けず嫌いはあったと思います。当時は習っていた子もたくさんいたので、同学年だったり、年上のお兄さん、お姉さんの演奏も常に見たりしていて。
――音楽教室には何人か先生がいらしたんですか?
藤村さん:そうです。個人の家なんですけれども、いろんな練習室があって、先生たちがいて、いろんなところから聴こえてくるんですよ。だから、今誰がこの曲をやっているとか、こっちの人はここらへんの曲をやっている、「勝つぞ!」「抜かしてやろう!」と。――ご自宅から近かったんですか?
藤村さん:ものすごく近いです。歩いて5~6分ぐらい。
――近かったからそこに入った感じですか?
藤村さん:同じ幼稚園に行っていた子がピアノを習っていて、その紹介という感じでした。
――ずっと同じ先生についていたんですか? 中学まで。
藤村さん:そうですね。中学までずっとその音楽教室で習っていて、高校から音楽科に行くことになって、そこの先生を紹介してもらって、高校に入ってからその先生に習うのならじゃあ中学から習っていこうかということで、そこからはダブルで習ってという感じです。
――でも、実際に高校に進学したら、逆にモチベーションの高い同級生も多かったと思うんですけれども、そういう中で挫折だったり、「あれ?大丈夫かな?」といった不安や壁のようなものにぶつかったりはしませんでしたか?
藤村さん:音高に進むことになったときに、今まで習っていた先生から「絶対に今までみたいにはできないよ」と、「ものすごく大変だよ」と言われ続けて、そんなに大変なんだとすごく覚悟を決めて入ったというか。そうしたら、「そんなに覚悟いったかな?」と(笑)。何か弾いても「全然こんなんじゃ通用しないよ」とさんざん言われ続けて強くさせられたおかげで、すんなり入っちゃった感じです。
――でも、言われて「だったらやめとこうかな?」というふうにはならなかったんですね?
藤村さん:そうですね。周りにも音高進学を宣言したあとだったし、準備も進んでいて、後戻りをしようとは思いませんでした。結構厳しかったですけれども、でも苦ではなかったなと思います。
――中学2年生ぐらいからコンクールにチャレンジし始めて、進路も意識し始めてとなると、普段のレッスンの仕方、レッスン量とか時間とかも変わってきたんですか?
藤村さん:そうですね。特に自由にずっとやってきていたので、例えば専門的な話で言うと、ソルフェージュとか聴音とか、受験に必要なものを全然やっていなくて。
――小学校の間に?
藤村さん:まったくやっていなかったんですよ。普通にちゃんと習っている子だと小学校から聴音とか、音大にいかなくてもそういうものを学んだりするじゃないですか。僕は全然やっていなくて、楽典も「何それ?」みたいな感じだったので。ひたすら先生の家に通い続けてずっと勉強して、聴音も全部教えてもらって、もう補導ギリギリの夜11時近くまで先生の家で特訓、みたいなことをしていました。
――それは学校終わってから?
藤村さん:そうですね。学校終わって 5 時ぐらいから行って、ひたすら練習して、レッスンもちょこちょこ入れてもらって、またひたすら練習して、別の練習室に行って練習して、見てもらって、練習して見てもらってを繰り返して。他の生徒が帰ったら、「じゃあ、次は聴音やるね」と言って。他にも受験生がいたんですけれども、その子と一緒に夜遅くまで付き合ってもらってずっと。もう先生なくして、ここまできてなかった。どこの段階でもそうですけれど、音高に進むことになってからは、もう本当にお世話になったという感じです。
――今先生なくしてとおっしゃいましたけれども、大学で学ぶ中でもいろんな先生と出会ったと思うんですけれども、先生との出会いというのは大事なことですか?
藤村さん:先生が変わったり新しく習ったりすると、それまでとは全然違う解釈や違う視点からいろいろ言ってくれたりして、自分が今まで気付けなかったこと、逆に言うと自分はこういうこともできるんだと気付けたりするので、新しい先生についたときって、いろんな刺激がもらえて一気に上達しますね。 ――逆にこないだまでの先生はこういうふうに言っていたのにと、戸惑いはないですか?
藤村さん:そういうこともあります。場合によっては真逆の指摘を受けることもありますが、どの先生もそれぞれ理屈や理由があって指摘してくださっていると思うので、僕なりに噛み砕いて消化しています。
――そういうのをできるようになるのは、ある程度自分が成長していないと……中学生ぐらいからできていました?
藤村さん:そうですね。ずっと2人の先生に師事していたので、気づいた時には戸惑うことはなくなっていました。
――やはり結局は自分の主体性のようなものがないと演奏できないということですよね。実際に音高に行ってよかったなと思いますか?
藤村さん:僕はよかったなと思います。
――それは音楽に集中できたからとか、自分の意志が固まったり逃げ場所がなくなったりとか……
藤村さん:そうですね。普通の学校に行っていたら、絶対授業も集中して受けていなかったし、何となくの生活を送っていたと思うので、それを考えたら目標が常にあって、取り組むという環境に行けたのは結果的に良かったと思います。
――音楽専門の高校に行って、そのあとの進路としてはもう必然的にという感じですか?
藤村さん:音大に進むというのは必然でした。音高から附属の大学ではなく、外部に進学したのは、音高の時に習っていた先生が今の大学で教えていたからです。僕が中学生の時にリーマンショックが起こって、年の離れた姉が就職活動でとても苦労しました。父はそれまで音高進学に乗り気ではなかったのですが、このことがきっかけで、高学歴であることが必ずしも夢を叶えることにつながるわけではないから、だったら自分の好きなことをやらせてみようと考えが変わって、音高に進学できることになったんです。
――音大となると高校とはまた環境がガラッと変わりますよね。4年制、大学院生までいて、もちろん同級生の志もきっと高いでしょうし、そのあたりはどう感じていますか? キャンパスライフという部分で。
藤村さん:特に1年、2年のときは、選抜の演奏会に全く選ばれなくて、コンクールに出ても予選落ちばかりでした。もっと頑張らなければと本当にたくさんの時間をピアノの練習に割いたんですが、はじめの1年半くらいは全然結果が出なくてものすごく辛かったです。
――どうやって乗り越えたんですか?
藤村さん:高校の時に顔なじみだったり知っていた子たちもここの大学に入ったりして。
――それはコンクールで一緒だった子たちですか?
藤村さん:そうです。そういう自分と同じぐらいの位置にいる子たちがどんどん選ばれて、でも自分は足元にも及ばないという状況だったので、何をやっているのかと本当に辛かった 1年半でした。その後2年生の期末試験の際に弾く曲を何にしようか、先生に相談したときに勧められたのが、シマノフスキでした。今回弾いたのとは違う曲ですけど。シマノフスキに出会って、こんなに自分の想いをぶつけられる、身体に馴染む作曲家がいるんだと衝撃を受けました。レッスンでも先生から「今までとは全然違う」「本当に合ってるね」と言ってもらえて、そんなに先生方が言うんだったらコンクールに出たらどうなんだろうと思って出たら、それまでの1年半が何だったんだろうと思うくらい評価が上がったんです。自分に合っているものだからこそ、そうやって評価していただけるのかなと思って、そこからやっと自分のペースを取り戻すことが出来ました。
――それは偶然の出会いというか、先生から言ってもらったことがきっかけでということですよね。
藤村さん:そうですね。武田先生から「シマノフスキやってみれば?」と。たぶん先生は、この子すごい悩んでいるからこの曲やってもらおうかなとか、そんなことは思っていなくて、ちょっとやってみればみたいな軽い気持ちだと思うんですけれども、やってみたらこんなに合うと。
――一回も弾いたことがなかったんですか?
藤村さん:一回も弾いたことがなかったです。初めて取り組んだんですけれども、こんなに自分に合うのかなというぐらい合ったし、練習しているときもすごく心地良くて、弾いている時間が。どんどん譜読みも進んであっという間に暗譜もして。
――すごいですね。そんなに作曲家によって違うんですね。
藤村さん:違いますね。求めている音色も違うし、体格もありますし。僕はどちらかというと、硬質で細めの音というんですかね、ピンと出すような音色なので、どうしても深みのある重厚な音というよりキラキラした感じの曲が、今となってはすごく得意で、シマノフスキはそういったことを擁するので。作曲家によって求められている音色も違うからこそ全然違いますね。
――いま同級生は何人くらいいるんですか? 院はまた違いますよね?
藤村さん:院は結構少ないんですけれども、学部だと一学年130人ぐらいいるのかな、ピアノだけで。
――コンクールで1位を取ると、学校内での扱いが変わるというようなことはあるんですか?
藤村さん:当然、先生たちももう名前は知っています。本当に上位の素晴らしい方々だと、学内からの演奏会も出られるし、外部にも招待されたりとか、名前は知られます、当然。だからといって、特別扱いとかはあまりないんじゃないかなと思います。
――他の楽器の学生と交流はあったりするんですか?
藤村さん:そもそも授業が全然違うんです。だから、余程伴奏なんかをいっぱいやったりしない限り、他の楽器の子と仲良くなる機会があまりないです。でも学部の時は、ピアノ科の友達と、夏にバーベキューしたり、花火に行ったりとかよくしていました。みんな仲良いと思います。
――今修士2年生で、通常だったらもう終わりですよね? 卒業ですか?
藤村さん:卒業はするんですけれども、具体的な進路は正直まだちゃんと決まっていない状況なので、ピアノをなるべく継続していけるような環境や仕事をしっかり見つけていきたいというふうには思っていて。
――直近の1~2年先に、どうなっていることが自分の中でベストですか?
藤村さん:とにかく最低限の生活ができるレベルではしっかりお仕事をしつつ、まだまだ学んでいきたいという思いは強いので、引き続きコンクールにも出たいし、機会があればコンサートも続けていきたいし、学校は卒業するけど、しっかり練習は今までどおり続けていくという感じです。
――理想とする活動をしている方は身近にいますか?
藤村さん:うーん。他の人はもちろん参考にはするんですけれども、この人みたいにこうなりたいとかはあまりないですね。自分は自分ですし、様々な可能性に挑戦したいと思っているので、出来ることをちょこちょこつまんで理想像を見つけることができればいいなと思います。
――最後にもう一つ…今回はオンラインコンクールでしたけれども、コロナになって、オンラインとのつながりで感じるものはありますか? 不安も含めて。
藤村さん:ここ最近僕も思うことは、例えばポップスとかアイドルしかりバンドしかり、今はもうYouTubeでもどこでもいろんなところで音楽を聴けると思うんですけれども、その上でもっと聴きたいなと思ったり虜になったりしたら、結局ライブに行くわけですよね。クラシックの場合はライブばかりで、逆に言うと気軽に好きになれる媒体、きっかけみたいなものが少ないんじゃないかなと思っていて。ライブじゃなくても、気軽に聴けるコンテンツはもっと増えなきゃいけないんじゃないかなと。だからこそコロナの状況でSNSでの発信だったり、コンクールがオンライン化されたりしたことは、僕は結果的にすごく良かったことなんじゃないかなと思います。ポップスなんかはそれだけで解決せずに、その先にはライブもあるし、それがちゃんと充実しているし、でもこっちのYouTubeやSNSも充実していて。だからこそ、そこから入っても結果的にもっと深みにはまれる道筋があると思うんですけれど、クラシックはその入口が狭すぎるというか、なさ過ぎると思うので、そういう意味ではもっともっと気軽な入口をつくらなきゃいけないなとは思います。
――今YouTubeで活動する音大生もいますよね。自分発信で活動を、という思いはないんですか?
藤村さん:YouTuberになりたいというわけじゃなくて、単純に気軽にちょっと観られるとか、身内とか知ってる人だけでもいいからという感じで、ちょこちょこYouTubeは上げてます。グループというか、連弾とかデュオみたいな、4人で最近始めてちょこちょこやっています、コスプレしたりとか。
――鬼滅ですか?
藤村さん:じゃないです(笑)。ディズニーメドレーとか、全然クラシックじゃないですけれども。12月はクリスマスにちなんだ曲をやったり。もともと学内のデュオの試験で組んだ子たちで、そこにものすごい使命があるわけじゃなくて、自分たちが楽しくてやっているだけ、ただ楽しんでいるだけなんですけれど。
――なるほど。そういうことがきっかけで気づいたらYou Tuberということもあるかもしれませんね(笑)。今日はありがとうございました!
藤村さん:ありがとうございました!
さわやかな好青年、という印象の藤村さん。こちらの問いかけに対して、まっすぐに答えてくださいました。 ピアニストのなかには指先のきれいな方が多いですが、藤村さんも然り。これからのご活躍が楽しみですね!