作曲家の演奏美学 第3回 ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

作曲家の演奏美学

内藤 晃

第3回 ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

ベートーヴェン(1770-1827)の弟子としては、カール・ツェルニー(1791-1857)、フェルディナント・リース(1784-1838)、アントン・シンドラー(1795-1864)が知られています。シンドラーはベートーヴェン晩年の秘書だった人物で、ベートーヴェンの死後伝記を著していますが、この伝記をめぐっては、会話帳の改ざんやエピソードの捏造が多くあることが明らかになっています(かげはら史帆『ベートーヴェン捏造』)。ここでは、シンドラーの伝記は採用せず、ツェルニーやリースの回想録から、ベートーヴェンの演奏美学を読み解いてみましょう。


アントン・シンドラー

証言1
練習に際してベートーヴェンがうるさく注意したのはレガートです。かれのレガート演奏はまったくみごとで、当時の楽器ではとてもできないとされていたものです。モーツァルト風の歯切れがよくそして音の切れる演奏法がまだまだ主流を占めていた時代なので、このレガート演奏はたいへん目立ちました。
後年ベートーヴェンが私にこう言ったのを憶えています。「モーツァルトの演奏を何度も聴いたが、ハンマーピアノはまだ完成どころかやっと少年期とでも言える段階だったので、ピアノ風ではなくて古いスタイルの奏法だった」私自身もかつてモーツァルトのレッスンを受けた人たちと知り合いになりましたが、ベートーヴェンの言っていたことが、これらの人たちの弾き方から裏づけされました。 彼の作品と弾き方は「その時代を越えて先の時代のもの」であったので、1810年頃までの不完全なピアノでは、いわば巨人的とも言えるベートーヴェンの表現に十分適応できなかったこと、(中略)ベートーヴェンの曲や、またかれの演奏自体が当時はあまり一般向けがせず、フンメルなどのその時代の好みに合わせた、粒の揃った滑らかな華麗な演奏ぶりがもてはやされたのも合点がいくことではあります。しかしベートーヴェンの弾くアダージョやレガート奏法—それを聴いた者は皆、まるで魔法をかけられた世界にいるかのような強い印象を受けました。彼は自作の出版譜に書き込まれたよりかなり多くペダルを使っていました。

カール・ツェルニー
(カール・ツェルニー著 パウル・バドゥラ=スコダ編 古荘隆保訳『ベートーヴェン 全ピアノ作品の正しい奏法』全音音楽出版社より抜粋)

カール・ツェルニー(1791-1857)は、1800年から3年間ベートーヴェンに師事し、1812年には師のピアノ協奏曲第5番(皇帝)のウィーン初演のソリストを務めた。演奏活動よりも音楽教育に情熱を注ぎ、数多くのエチュードを出版、門下にリストやレシェティツキがいる。

ツェルニーが伝えているのは、ベートーヴェンのピアニズムの独自性や前衛性です。「かれの演奏自体が当時はあまり一般向けがせず、フンメルなどのその時代の好みに合わせた、粒の揃った滑らかな華麗な演奏ぶりがもてはやされた」との証言があります。ベートーヴェンの演奏は、フンメルやその師モーツァルトのような「粒の揃った滑らかな」耳触りの良い演奏ではなかったわけです。ということは、すなわち「粒の揃わないゴツゴツした」演奏だったことが類推されますが、ここでの「粒の揃わない」は、タッチの濃淡を活かしたロマンティックな表現、「ゴツゴツした」は、不協和音やsfなどの鋭角的で劇的な表現を想起させます。

ベートーヴェンの指導ぶりは、レガートへのこだわりが印象的だったようです。ツェルニーは数々のエチュードとともに理論書も出版しているので、そこから、ベートーヴェン演奏やレガートに関する記述を引用してみましょう。

証言2

第15章 様々な作曲家と作品の特殊な演奏法

 

§6
従って以下の6つを、フォルテピアノ奏法の主要な楽派と考えることが出来るでしょう。

 

A) クレメンティの奏法:略
B) クラマーとデュセックの奏法:略
C) モーツァルトの奏法:これは明晰で、際立ってブリリアントで、レガートよりスタッカートを前提にしており、ウィットに富んだ生き生きした演奏です。ここではペダルは滅多に用いられず、まったく不必要なこともあります。
D)ベートーヴェンの奏法:レガートのカンタービレが持つあらゆる魅力と交錯する、性格的で情熱的な力が、ここでは支配的です。特にユーモラスな気まぐれを意図するブリリアントな奏法は、ここでは滅多に使われません。その代わり、よく響くレガートとフォルテペダル[ダンパーペダル]の効果的な利用等による全体効果が、ここでは用いられなくてはなりません。必要なのはブリリアントな気取りのない大いなる流麗さ、アダージョにおける夢見るような表情、そして感情に満ちた歌です。
E)比較的新しい、フンメルやマイヤベーアやカルクブレンナーやモシェレスによって基礎が作られた、ブリリアントな奏法:略
F)これらすべての楽派から、今日ひとつの新しい奏法が発展し始めています。これは先立つ時代のすべての奏法の総合と完成と呼ぶことが出来るでしょう。(後略)

 

§7
(前略)すべての作品は作曲家が意図した奏法によって演奏されなければならないのであり、上に名前を挙げた巨匠たちの作品をすべて同じ奏法で弾いたりしたら、大きな間違いを犯すことになるのです。(中略)
例えば、デュセックの作品を演奏すべき、穏やかで柔らかく快適な優雅さは、ベートーヴェン作品、あるいは近年のブリリアントな作品の演奏には、まったく不十分です。それは、細密画、水彩画、フレスコ画、油絵の間に大きな違いがあるのと同じです。(後略)

 

第2章 レガートとスタッカートのあらゆる段階について

 

5つの段階 レガーティッシモからマルカーティッシモまで

 

§1
レガート、テヌート、スタッカートにも、音の大きさと同様に、5つの異なった段階があります。

a) レガーティッシモ:この場合は必ず、楽譜に書かれているよりも長く指で鍵盤を押えておくようにします。これを用いるのは分散和音の場合のみであり、協和的な(つまり和音に属する)音のみを、このようにして弾くようにしなければなりません。(譜例略、後略)
b) レガート:ピアノにおける歌も、和声の連続も、これによって作り出されます。次の音が入ってくるまで、楽器の性能が許す限り、出来るだけ長くすべての音をしっかり保つことで、人の声や管楽器と同じような効果を模倣するようにしなくてはなりません、
c) ハーフ・スタッカートまたはポルタメント:略
d) スタッカート:略
e) マルカーティッシモ:略

 

§2
これら5つの表現段階の間にも、無数の陰影があります。これらは感情と能力だけでなく、完璧に訓練された指の熟練を必要とします。(後略、譜例略)

カール・ツェルニー
(カール・ツェルニー著 岡田暁生訳『ピアノ演奏の基礎』春秋社より抜粋)

ツェルニーは優れた知性の持ち主で、ピアノの演奏上のきわめて身体的な感覚を丹念に言葉に変換して紡いでいます。『ピアノ演奏の基礎』第15章は、レパートリーに適した演奏スタイルを作曲家ごとに分類して解説している部分。とりわけベートーヴェンに関する記述には熱がこもり、師直伝のポリシーがツェルニーの中に息づいていることをうかがわせます。
第2章では、音のつなぎ方、切り方を5段階に分けて解説しています。レガートは、レガートとレガーティッシモの2段階に分類されていますが、あくまで5段階は便宜的なもので、「これら5つの表現段階の間にも無数の陰影があります」と言っています。この時ツェルニーの脳裡には、かつて師ベートーヴェンが奏でた「魔法をかけられた世界にいるかのような」レガートが想起されたのではないでしょうか。

証言3

パッセージを弾きそこなったり、際立たせたい音符や跳躍をミスタッチしても、ベートーヴェンはほとんど何もいわなかった。しかしクレッシェンドなどの表現や作品の性格づけに関して足りないところがあると、彼は激怒した。前者はただの事故だが、後者は知識や感性、注意深さを怠っているからこそ起きる––そう彼は言った。

彼はしばしばクレッシェンドとリタルダンドを同時に用いて、実に圧倒的な効果をあげた。

フェルディナント・リース
(O.G.Sonneck ed., BEETHOVEN Impressions by his Contemporaries, New York: Dover Publicationc, Inc., 1967
かげはら史帆著『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』春秋社)

フェルディナンド・リース(1784-1838)は、ボンの宮廷ヴァイオリニストを父親に持ち、この父親がベートーヴェンのヴァイオリンの先生だったという縁から、16歳でウィーンに赴き、4年間ベートーヴェンに師事。この間、パトロンの前での演奏なども多く任された。のちにロンドンでピアニスト、作曲家、教師として大きな名声を築いた。

リースの証言からは、ベートーヴェンが音楽に内在するアフェクト(情感、心の状態)を大切にしていたことがよく伝わってきます。ツェルニーによると、ベートーヴェンは、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの『正しいクラヴィーア奏法』を用いてレッスンしていたと言います。この本の中で、C.P.E.バッハは楽曲固有のアフェクトにしばしば言及し、「音楽家は、自分自身が感動するのでなければ、他人を感動させることはできないので、聴衆の心に呼び起こそうとするすべてのアフェクトのなかに自分自身もひたることが是非とも必要である」と述べています(カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ著 東川清一訳『正しいクラヴィーア奏法』全音楽譜出版社)。
また、クレッシェンドとリタルダンドに関する発言は、ベートーヴェンのアゴーギク(テンポの伸縮)の巧みさを伝えています。往年の作曲家やピアニストが遺した録音やピアノロール録音を聴くと、絶妙なアゴーギクに心動かされることがしばしばありますが、これはかつて伝統的な演奏習慣として受け継がれていたものが、20世紀半ばぐらいから、新即物主義(Neue Sachlichkeit)の台頭で、演奏におけるアゴーギクの比重が薄まってしまいました。このようなアゴーギクに関する証言は、ブラームスの演奏スタイルに関する弟子の証言(『ブラームス回想録集』)や、リストのマスタークラスでの発言(『師としてのリスト』)にも見られます。心動かされる演奏を客観的に観察しながら、名手からこのようなアゴーギクのノウハウを盗み、普遍的な語り口として自分のものにしたいですね。

ベートーヴェンの名演奏

筆者が愛聴するベートーヴェンの名演奏はとてもひとつのプレイリストに選びきらないため、「ピアノを含む作品」の「ライヴ録音」に限定して選んでみました。ライヴ録音に限定したのは、ベートーヴェンの作品に宿る構築的な説得力やパッションが、ライヴでこそ一期一会の文脈を生み、聴き手を魅了するケースが多いためです。
往年の名手たちの妙技は、対話の密度の濃い室内楽でこそ稀有な化学反応を生む傾向にあり、結局室内楽ばかり選んでしまいました。


エドヴィン・フィッシャー

筆者が個人的にベートーヴェンらしさを感じるのが、エドヴィン・フィッシャーの音色。フィッシャーのピアノの魅力については、彼に私淑し近しくアドバイスも受けていたダニエル・バレンボイムが「私がそれまでに聴いたピアニストの誰よりも自然なレガートを持っていた」「彼には、あたかもすべてが即興で演奏されたかのように感じさせる素晴らしい才能があった。しばしば、まるで演奏しながら曲を作り上げているような感じを聴き手に与えたのだった」と述懐しています(『音楽に生きる––ダニエル・バレンボイム自伝』蓑田洋子訳、音楽之友社)。ここで選んだのはヴォルフガング・シュナイダーハン(Vn)、エンリコ・マイナルディ(Vc)との大公トリオ(1952年ライヴ)で、名手たちと融通無碍な対話を展開しつつも、全体像としては緊密な音の建造物を築いていく、その塩梅が見事。フィッシャーのタッチは輝かしい生命力を内包し、レガートの美しさに陶然。第3楽章は、「ベートーヴェンの弾くアダージョやレガート奏法—それを聴いた者は皆、まるで魔法をかけられた世界にいるかのような強い印象を受けました」というツェルニーの証言を彷彿とさせます。
エドヴィン・フィッシャーとクラウディオ・アラウは同じマルティン・クラウゼ門下であり、ベートーヴェン→ツェルニー→リスト→クラウゼという流れで、ベートーヴェン直系のピアニストということになります。さらに、アルトゥール・シュナーベルも、ベートーヴェン→ツェルニー→レシェティツキからの流れでベートーヴェン直系です。
アラウの演奏は、音楽の変容過程をつぶさに体感させてくれるリアリティがあり、隅々まで吟味された読譜眼の鋭さと、含蓄のある語り口の重みを感じさせます。彼の弾くベートーヴェンのピアノソナタは圧倒的にライヴが良く、中でも印象的なOp.101のソナタ(1963年ライヴ)を選びました。音と音の間の膨らみ感や音程の移行にまで血の通ったベートーヴェン。筆者は、リースの証言にあるようなアゴーギクの巧みさを、とりわけアラウやフレデリック・ラモンドのベートーヴェン演奏で感じます。
シュナーベルの演奏は楷書的ですが、音楽の見通しの良さで群を抜いており、これは彼の校訂してベートーヴェンのピアノソナタの楽譜(IMSLPにも掲載されています)を見ると合点がいきます。楽曲の構造に寄り添ったテンポ・チェンジが具体的なメトロノーム数字で細かく提案されており(たとえば、推移部でわずかにテンポを速め、新しい主題が導入され調が確定するとテンポを落ち着ける、という具合)、これが音楽の語り口を実に生き生きとさせているのです。ヨーゼフ・シゲティとのヴァイオリンソナタ第10番(1948年ライヴ)は、シュナーベルの格調高いピアノがシゲティとの峻厳なヴァイオリンと融合し、心にまっすぐ迫り来る純度の高いアンサンブルを展開します。
最後に、どうしても入れたかったピエール・フルニエ(Vc)とヴィルヘルム・ケンプ(Pf)のチェロソナタ第3番(1965年ライヴ)。フルニエの「柔」とケンプの「剛」が見事なマリアージュを聴かせる。随所に即興的な語りかけの交歓があり、なんともあたたかく幸せな音楽の時間が流れる。これぞ室内楽の醍醐味!
このような歴史的名演に浸りながらも、その感動のありかを探り、みなさんの音楽の滋養にもしていっていただきたいと願っています。

内藤 晃

内藤 晃(ないとう あきら)
ピアニスト、指揮者。
月刊音楽現代にコラム「名曲の向こう側」を連載。楽譜やCDの解説多数。フランツ・リストのマスタークラス記録(アウグスト・ゲレリヒ著)を翻訳出版予定。リコーダー、鍵盤ハーモニカ、ピアノによる「おんがくしつトリオ」を主宰し、教育楽器のイメージを覆すエキサイティングなアレンジで、全国的に公演。音楽の奥深さや新しい楽しみ方をみなさんと共有したいと願っています。

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