第2弾では古典派と呼ばれる時代に活躍した作曲家たちを紹介します。音楽の都ウィーンで活躍した3人の作曲家たちは、一体どんな人だったのでしょうか…?
【古典派とは】
古典派の時代は、J. S. バッハが亡くなった1750年頃から、ベートーヴェンが亡くなる1820年代あたりまでを指すことが多いです。しかし、バッハが亡くなる前から古典派の音楽に近いものが出てき始めたり、ベートーヴェンの晩年の作品は次の時代であるロマン派の音楽のように聴こえたりするので、この時代区分は非常に曖昧だと言えます。そもそも音楽がある年を境にしてパキッと変わるなんてありえないので、時代を分けるのはとても難しいことなのです。そのため、ここではだいたい1750年~1820年くらい、ハイドンやモーツァルトやベートーヴェンが活躍していた時代に彼らが作っていた音楽が古典派らしいものなんだと思っておいてください。
古典派の時代を社会面から見ていくと、バロックから大きく変わったことが分かります。バロックの時代には王様や貴族だけのものだった音楽が、古典派では一般的な市民たちも楽しむことができるようになったのです。これには、当時流行っていた啓蒙思想という考え方が関係しています。啓蒙思想とはものすごく簡単に言うと、人間は1人1人が考える力を持っているのだから、その力をきちんと使わなくてはならないという考え方です。だからこそ、王様に支配されるのではなく、みんなが自分で考えて生きていこうというのです。この思想がきっかけとなってフランス革命などが起こり、それまでの王様が支配するという体制が崩れていきました。王様が力を持たなくなったことで、新たに音楽に親しむようになったのが市民たちです。この時期には、チケットを買えば誰でも行くことができるコンサートが行われるようになり、楽譜が出版されるようにもなりました。現在では当たり前のこれらのシステムは、古典派の時代にようやくできたものだったのです。こうして、音楽がどんどん手の届きやすいものとなっていきました。
古典派の音楽は、明快で自然、親しみやすいのが特徴です。バロックの複雑で重厚な対位法や通奏低音から逃れ、魅力的なメロディーに簡潔な和音の伴奏が付くという形が主流になりました。また古典派では器楽作品が人気になり、重要なジャンルが数多く発展していきます。その1つがソナタです。ソナタはバロックの頃からあったジャンルですが、古典派の時代に、第1楽章がソナタ形式※で4つの楽章から成るという形式に整えられ、数々の素晴らしい作品が生み出されました。
古典派は鍵盤楽器が急速に発達した時代でもあります。この時代に主流だったのはフォルテピアノ(またはピアノフォルテ)という楽器です。バロックの頃のチェンバロやオルガンとは異なり、楽器の中でハンマーが弦を叩くことで音が出ます。チェンバロやオルガンがあまり音量が変えられなかったのに対して、フォルテピアノではハンマーが弦に当たる強さを調節できるので、大きい音も小さい音も出すことができました。つまり、フォルテもピアノも出せるからフォルテピアノというわけです。現在ピアノが「ピアノ」と呼ばれるのは、このフォルテピアノから「フォルテ」が取れてしまったからなのですよ。実はフォルテピアノはすでにバロックの頃には発明されていたのですが、飛躍的に進化したのが古典派の時代でした。特にベートーヴェンが活躍した頃には、音域もどんどん広くなり、現在のピアノへと近づいていったのです。
フォルテピアノ
※ソナタ形式…楽曲の形式の一つで、提示部・展開部・再現部から成ります。提示部では、主題(曲の中で大切な役割を持つメロディー)が大抵2つ紹介されます。この2つの主題は別の調で書かれ、対立しているように見えます。展開部では主題が変形されたりいろいろな調へ移調されたりして、どんどん曲が発展していきます。再現部では2つの主題がまた現れますが、今度はどちらも同じ主調(その作品の中心となる調)で書かれます。このように、最初は「けんか」していた2つの主題は、曲の中で「じっくり話し合って」、最後には「すごく仲良しになる」のです。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809年、オーストリア)
交響曲と弦楽四重奏の父は実は…楽団員にとってもお父さん⁈
★・・・オモテ
★・・・ウラ
★ハイドンは、古典派の音楽の中で非常に大きな役割を果たした作曲家として有名です。ハイドンはとても長生きで、バロックの終わりから(ハイドンが生まれたのはJ. S. バッハが亡くなる18年前でした)、ベートーヴェンが活躍する時期まで生きました。彼はモーツァルトに影響を与え、若い頃のベートーヴェンに先生として指導もしていました。古典派の他の作曲家から尊敬される、ベテラン作曲家だったと言えるでしょう。
ハイドンが「交響曲の父」とか「弦楽四重奏の父」と呼ばれているのを聞いたことがある人もいるんじゃないでしょうか。ピアノを習っている人の中には、もしかしたら交響曲や弦楽四重奏にあまりなじみがない人もいるかもしれないので、簡単に説明します。交響曲とはオーケストラが演奏する、いくつかの曲(楽章)がまとまって1つになった大規模な作品です。そして弦楽四重奏とは、ヴァイオリン2人・ヴィオラ1人・チェロ1人という弦楽器4人で演奏する作品です。これらは古典派の音楽においてなくてはならないジャンルであり、それを発展させたのがハイドンでした。ハイドンはこれらのジャンルの生みの親というわけではないのですが、数多くの優れた作品を作って、後世の作曲家が「私もこのジャンルで曲を書いてみよう、素敵な作品を作りたい!」と思うきっかけを作ったのです。
★ハイドンはエステルハージという侯爵の家に仕えていました。モーツァルトやベートーヴェンのようにフリーランスで自分の好きなときに好きな曲を書くのではなく、雇い主の侯爵のために作曲していたのです。それじゃあ職業作曲家として真面目だったのかな…と思いきや、実はハイドンにはとてもユーモラスなところがありました。ある時、エステルハージ侯爵は、ハイドン率いる楽団を連れて別荘へ出かけました。すると侯爵は別荘での暮らしがすっかり気に入ってしまい、なかなか帰ろうとしません。侯爵の気まぐれで故郷に帰れなくなってしまった楽団員たちはたまりません。彼らはすっかりホームシックになってしまって、楽団のリーダーであるハイドンに泣きつきました。相談を受けたハイドンが、侯爵を説得するために作曲したのが交響曲第45番《告別》です。この作品の終わり方はちょっと変わっています。終わりが近づくにつれて奏者が一人また一人と退場していき、最後には2人のヴァイオリニストしか残らないのです。この作品を聴いた侯爵はハイドンの言いたいことを察して、すぐに楽団員たちを故郷に帰らせてやったと言われています。侯爵に直接苦情を言うのではなく、音楽にのせてさりげなく伝えるなんて何ともおしゃれです。そのように非常に面倒見がよく、楽団員に慕われていたハイドンは、まさに「お父さん」のような存在だったのでしょう。
♪ ピアノ・ソナタ 第48番 Hob.XVI:35 op.30-1 ハ長調 Sonate für Klavier Nr.48 C-Dur Hob.XVI:35 op.30-1
この曲はソナチネアルバムにも入っているので、もしかしたら弾いたことがある人も多いのではないでしょうか? 付点リズムや3連符で跳ね回り駆け回っているような、かわいらしいソナタです。途中でいきなり暗くなったと思ったら、ぱっと明るく戻るようなところもあり、ハイドンのユーモラスさが見えてきます。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791年、オーストリア)
神に愛された子は実は…下品な話が大好き⁈
★クラシック音楽の歴史の中で「天才」といったら、まず間違いなくモーツァルトの名前が一番に挙がるでしょう。モーツァルトのミドルネームである「アマデウス」はラテン語で「神に愛された者」という意味です。名は体を表すとよく言いますが、モーツァルトはその名の通り音楽の神様に愛されているとしか思えないような素晴らしい音楽の才能を持っていました。音楽家だった父レオポルトは、息子があっという間にピアノを弾きこなし、作曲までし始める姿に驚き、ヨーロッパ中に彼の才能を知らせようと演奏旅行に連れ出しました。各地の王様や貴族の前で優れた演奏をしたモーツァルトは、たちまち神童として有名になります。6歳の頃には、演奏のために訪れた宮廷で転んだときに助けてくれた当時7歳のマリー・アントワネットに「僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったというかわいらしい逸話も残っています。子供の頃にヨーロッパ中を旅したモーツァルトは、各地の音楽を吸収して自分の音楽に生かしていきました。そうして子供らしい無邪気さを持ち、自然で美しく、洗練されたモーツァルトの音楽ができていったのです。
★文句なしの天才作曲家だったモーツァルトですが、どうやら決して聖人君子でご立派な偉い人物…というわけではなかったようです。天才作曲家というイメージとはちょっと違う、いたずらな子供っぽい一面も持ち合わせていました。例えば、いとこのベーズレという女性にあてた手紙はかなり下品な冗談や言葉遊びだらけです。ここで内容を詳しくお話しするのは恥ずかしいので割愛します…笑(それくらい下品なのです)。この手紙は「ベーズレ書簡」と呼ばれる有名なものなので、興味のある人は調べてみてくださいね。この手紙のような下品な冗談がコミュニケーションの一つとして当時流行っていたという説もあるため、一概にモーツァルトを下品な人物だとするわけにはいきませんが、流行りにはきちんと乗るようなユーモアのある人物であったことは確かでしょう。こうしたちょっと下品で子供っぽいモーツァルトのイメージは、映画『アマデウス』でも描かれています。天才作曲家というモーツァルト像を壊してしまうような証拠品の手紙や、後世に作られた映画作品は、かつては批判されることも多くありました。みんな、モーツァルトが清く正しい天才作曲家だと信じたかったのです。現在では、このようなモーツァルト像もだいぶ受け入れられてきていると言えます。モーツァルトが実際どんな人だったのか私たちは想像することしかできません。しかし、彼の音楽が素晴らしいことに変わりはないのです。
♪《きらきら星変奏曲》 K. 265 12 Variationen über ein französisches Lied “Ah, vous dirai-je, maman” K. 265
モーツァルトがどうして「きらきら星」の歌を知っているの⁈と驚くかもしれませんが、実はこの歌はもともと《ああ、お母さん、あなたに申しましょう》というフランスの歌曲なのです。モーツァルトはこの歌を知っていて、それをもとに作ったのがこの変奏曲です。リズムが変わったり、短調になったりとよく知ったメロディーが次々に変化していくのがとても面白い曲です。始まりのメロディーを弾いていると、つい「きーらーきーらーひーかーるー♪」と歌いたくなってしまいます。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827年、ドイツ→オーストリア)
難聴と戦った楽聖は実は…引っ越し魔⁈
★ベートーヴェンが「楽聖」と呼ばれるのを聞いたことがある人もいるのではないでしょうか? 聖なる音楽家だなんて、すごい尊敬のされ方です。こんなふうに言われるのは、彼が作曲家=「芸術家」と見なされ、尊敬されるきっかけを作った人だったからです。ベートーヴェンより前の作曲家たち、例えばバッハやハイドンは雇い主に頼まれて作曲してお金をもらう、いわばサラリーマンのような作曲家でした。それに対してベートーヴェンは、お屋敷に勤めたりはせずに自分の好きな時に書きたい曲を書き、それをファンや出版社が買ってくれることでお金をもらっていました。ベートーヴェンの「耳が聞こえなくなってもあきらめずに素晴らしい作品を作った」という波乱万丈な人生も、彼が偉大な芸術家として認められるのに一役買いました。こうして、自分が書きたいと思う理想の音楽を追い求め、感情がほとばしるような素晴らしい作品を残したベートーヴェンは、古典派の最も優れた作曲家の一人であるとともに、次の時代であるロマン派へとつながる道を作ったのです。
もちろんベートーヴェンがすごいのはその人生のためだけではなく、音楽も文句なしに素晴らしいからです。ベートーヴェンはたった1つのメロディーに対してもすごく考えて考えて、理想的になるように努力を重ねました。また、ベートーヴェンは動機(音楽の中の小さな部品)を組み上げて壮大な音楽を作ることが得意でした。交響曲第5番《運命》を聴くと分かりやすいでしょう。ジャジャジャジャーン!という特徴的な音の形が何度も何度も出てきて、曲が発展していくのです。そうやってできあがった作品は、細かいところまでこだわりぬかれ、芸術と呼ばれるにふさわしいものだったのです。
★そのように尊敬されているベートーヴェンですが、どうやら私生活ではなかなかの問題児だったようです。彼は何と生涯に約70~80回も引っ越しをしたと言われています。彼が56歳で亡くなったことを考えると、1年に1~2回は引っ越しをしていた計算になります。あまりにも多すぎて、正確な記録も残っていないほどなのです。ひょっとしたら、場所を変えることで気分転換になって作曲がはかどったとも言えるかもしれません。ベートーヴェンはモーツァルトのように長旅はしなかったので、引っ越しがその代わりだったと見なすこともできるでしょう。しかし、噂によるとどうもベートーヴェンの生活態度も大いに関係していたようです。あまりにも部屋の使い方が悪くて大家さんに追い出されたとか、ご近所さんとトラブルを起こしたとかいう話も残っています。確実な証拠は残っていませんが、ベートーヴェンが難聴も相まって非常に気難しかったことを考えると、あり得ないことでもないでしょう。また、ベートーヴェンは散らかし魔でもあったようです。大掃除をするのが面倒くさくて、別な家に移って次こそは整理整頓して生活しよう!と計画していたのかもしれません。まあ結局はそれを何度もくり返して全く片付いていなかったようですが…。そう想像すると、偉大なベートーヴェンがちょっと身近に思えてきますね。
♪ ピアノ・ソナタ 第17番「テンペスト」 Op.31-2 ニ短調 Sonate für Klavier Nr.17 d-moll Op.31-2
ベートーヴェンは32曲のピアノ・ソナタを書いており、その中から私が好きな1曲を選んでみました。この曲の副題になっている「テンペスト」とはシェイクスピアの戯曲のタイトルで、「嵐」という意味です。ベートーヴェン自身がつけたタイトルではなく、彼の弟子がこの曲を弾くときにベートーヴェンから「テンペストを読め」というアドバイスをもらったという逸話からつけられています。このエピソードが事実かどうかは残念ながら分かりませんが、嵐のように激しいこのソナタにはこのタイトルはぴったりかもしれません。シェイクスピアの『テンペスト』を読んでみると、この曲を聴いたり弾いたりするのがもっと楽しくなるかもしれませんよ。
小野寺 彩音
小野寺 彩音 (おのでら あやね)
岩手県出身。
東京藝術大学音楽学部楽理科を経て、同大学大学院音楽研究科音楽文化学専攻音楽学研究分野修士課程に在学中。
学部卒業時にアカンサス音楽賞を受賞。
大学院では「オペラにおける道化」についての研究を行うとともに、オペラ演出を学ぶ。
5歳からピアノを始め、現在はピアノソロ作品に加え、オペラ・アリアや歌曲、ミュージカル作品など幅広い年代の声楽作品の伴奏の研鑽を積んでいる。