このシリーズも第3回目となりました。今回読んでくれているのは、高校生以上の人が多いのだろうと思います。これを書いていてふと、自分が高校生だった頃を思い出しました。ちょうど音楽大学に入って音楽の道に進もうと決めて、音楽史を勉強し始めた頃です。それまでピアノを弾いていた中ではまだ出会っていなかったたくさんの作曲家を知って、「自分の知らないクラシック音楽の世界がこんなにあるのか!」とわくわくしたことをよく覚えています。
高校生である皆さんのクラシック音楽との関わり方は、中学生の頃よりももっと多様になっているでしょう。音楽大学を目指して頑張っている人、勉強や受験や部活で忙しくてピアノや音楽からちょっと距離をおいている人、忙しい毎日の中で息抜きに音楽を聴いたり弾いたりするのが何よりの楽しみな人…。クラシック音楽の楽しみ方や興味の方向は千差万別でしょうから、皆さんに紹介する10人の作曲家を選ぶのにもだいぶ苦労しました。今回は、知っているとピアノ演奏のレパートリーが広がって楽しい作曲家や、あまりピアノで弾かれないかもしれないけれど音楽史の中で重要な役割を果たした作曲家を取り上げてみました。
①ラモー | ②スカルラッティ | ③サン=サーンス | ④ムソルグスキー | ⑤フォーレ |
⑥エルガー | ⑦アルベニス | ⑧シェーンベルク | ⑨ストラヴィンスキー | ⑩ジョン・ケージ |
画像:Wikipediaより引用
いかがでしょう、もしかしたらちょっと知らない顔が増えたでしょうか…? これでクラシック音楽の作曲家を合計30人紹介したことになりました。これまで一緒に広げてきたクラシック音楽の世界が、ちょっと賑やかになってきましたね。
時代と国
作曲家が生まれた年 | その時期の時代/人物・生まれた国/出来事 | |
1603 徳川家康が江戸幕府を開く、江戸時代の始まり | ||
1683 | バロック | ラモー(フランス) |
↓ | ||
↓ | ||
1685 | ↓ | スカルラッティ(イタリア) |
1700年頃 現在のピアノの原型が発明される | ||
↓ | ||
古典派 | ||
1789 フランス革命 | ||
ロマン派 | ||
1814 ウィーン会議 | ||
↓ | ||
1830 フランス七月革命 | ||
1835 | ↓ | サン=サーンス(フランス) |
↓ | ||
1839 | ↓ | ムソルグスキー(ロシア) |
↓ | ||
1845 | ↓ | フォーレ(フランス) |
近現代? | 1848 ヨーロッパ各地で独立運動が起こる(諸国民の春) | |
1857 | ↓ | エルガー(イギリス) |
↓ | ||
1860 | ↓ | アルベニス(スペイン) |
1868 明治時代の始まり | ||
1870 普仏戦争 | ||
1874 | ↓ | シェーンベルク(オーストリア) |
↓ | ||
1882 | ↓ | ストラヴィンスキー(ロシア) |
1883 鹿鳴館(=欧化政策)が建設される | ||
↓ | ||
↓ | ||
1894 日清戦争 | ||
1904 日露戦争 | ||
1912 | ジョン・ケージ(アメリカ) | 1912 大正時代の始まり |
↓ | ||
1914 第一次世界大戦 | ||
1926 昭和時代の始まり | ||
1939 第二次世界大戦 |
今回選んだ10人はだいぶロマン派以降の新しい時代に偏っていました。しかも随分とフランスの作曲家が多いようです。これには私のフランス音楽好きという趣味も多分に入ってしまっているのですが、それを置いておいてもフランスに有名作曲家が多いのには必然性があるのです。第1回でお話ししたようにパリが音楽の都として栄えていたというのももちろんですし、バロックの時代には絶対王政に支えられて豪華絢爛で豊かな音楽文化が栄えていました。そして19世紀後半にある重要な出来事が起こります。それがフランスとドイツ(当時はプロイセン王国)の間で1870年に勃発した普仏戦争です。この戦争でフランスはドイツに負けてしまいます。そのことによって、フランスの人々の愛国心に火がつきました。ドイツには誇るべき偉大な作曲家であるバッハやベートーヴェン、ドイツ語圏のオーストリアまで手を伸ばせばモーツァルトやシューベルトもいたので、フランスの作曲家たちはそれに負けない音楽を作ろう!と奮い立ったのです。そうして設立されたのが国民音楽協会という組織でした。これはフランスの作曲家を応援し、その作品を積極的に取り上げようとする団体で、サン=サーンスを始めとしてフォーレやドビュッシー、ラヴェルも関わっていました。そうして、19世紀後半にフランス音楽界は大きく発展を遂げたのです。
また、ようやっとイギリスとスペインの作曲家を紹介することができました! エルガーやアルベニスは、前回お話ししたような「国民楽派」の一員とされることが多い作曲家です。例えばアルベニスがスペインならではのギター風の音楽(フラメンコを思い浮かべてみてください)をピアノに取り入れたように、自分の国の音楽の良さを生かし、その国の風景が思い浮かぶような作品を作り出しました。イギリスやスペインにも素敵な作曲家がたくさんいるので早く紹介したくてうずうずしていたのですが、毎回10人選ぶとなるとなかなか順番が回ってこなかったのです…。こうしてみると、クラシック音楽界の有名人がいかにドイツ語圏(ドイツやオーストリア)、フランス、イタリアに集中しているかが見えてきますね。
バロック以前と現代
皆さんの知っている一番古い時代の作曲家と、一番新しい時代の作曲家は誰ですか? 人によってまちまちだとは思いますが、恐らく一番古いのはJ. S. バッハあたりなのではないでしょうか。そして、今回紹介した中で言えばシェーンベルクあたりからちょっと怪しくなっていく…。きっとそんな感じの人が多いのではないかと思います。事実、高校生の頃の私もそうでした。これはある意味仕方のないことだと言えます。なぜなら、バロック以前といわゆる現代の音楽は、「分かりにくい」ものだからです。
バロック以前
まずはバロック以前を見ていきましょう。バロックの時代というのは大体1600年頃からと言われています。そしてバッハは1685年生まれで、バッハの息子たちからはもう古典派に移り変わり始めているので、バッハはバロック時代のかなり終盤に活躍していたと言えます。つまり、私たちはバッハから現在に至るまでのたった300年ちょっとの音楽史しか知らないわけです。そして、バッハより前には、それ以降の長さの何倍もある広大なクラシック音楽の世界が広がっているのです。じゃあなぜそんな長い期間のことを私たちはよく分かっていないのでしょうか? これは特にピアノを習っている人の場合には仕方がないことだと言えます。なぜなら、そのよく分からない広大な音楽世界の中に占めるピアノ、つまりは鍵盤楽器の範囲がとても狭いからです。バロックより前には、中世やルネサンスという時代がありました。これらの時代のクラシック音楽の中心になっていたのは、アカペラの合唱曲だったのです。ピアノなどはまだ影も形もなかったし、鍵盤楽器が発明された後もしばらくは現在皆さんが弾くようなソロの作品たちは生まれてきませんでした。またバロックよりもずっと古い時代には、現在のような楽譜がまだ発明されていなかったために、そもそも音楽の形がきちんと残っていないことも多いのです。バロックの時代に入ってからも、クラシック音楽の世界の大半を占めていたのは実は歌でした。もちろんバッハを始め、今回紹介したラモーやスカルラッティは鍵盤楽器の音楽をたくさん作っていましたが、バロック全体を見渡してみると圧倒的にオペラ(歌を中心とする舞台芸術)の時代だったのです。だからこそ、現在私たちがよく弾くレパートリーにようやっと入ってくるのがバッハくらいからで、それより前はなんだか分かりにくい…と感じてしまうわけです。
現代音楽
そして、「現代音楽」と呼ばれる音楽もなかなか理解しにくい難しさを持っています。前回少しお話ししたように、ロマン派より後の時代はラベルを貼るのが追い付かないほど作曲の手法が多様化しました。それと同時に、バッハやモーツァルト、ショパンやラヴェルたちの音楽のように素直に綺麗だなと感じるだけではなく、ちょっと一筋縄ではいかないような作品が増えていくのです。例えば、シェーンベルクはハ長調とかロ短調とかいう調性を使わない無調の作品を作りました。ストラヴィンスキーは《春の祭典》などの作品で、1, 2, 3, 4, 1, 2, 3, 4,…というような規則的なリズムを破壊しました。また、ジョン・ケージはもっとすごいことをやっています。《4分33秒》という作品を知っていますか? これは何とステージに奏者が出てきて、4分33秒間何にもしないのです。その静寂の時間の中で聞こえたお客さんのザワザワガヤガヤという音、そのホール内にある音すべてを含めて音楽だと彼は言うのです。ジョン・ケージは、ピアノのふたを開けてその中にある弦に物を挟んで変わった音を出す、プリペアド・ピアノも発明しています。これらの作曲家がしたことは、それまでのクラシック音楽の常識を覆すような画期的なことでした。もしかすると、バッハやベートヴェンなどの作品に慣れ親しんだ人たちにはちょっと理解しがたい感覚かもしれません。その「あれっ?なんだかこれって変なのか…?」という感覚こそが、現代音楽を分かりにくくさせているものであり、一方でそれが現代音楽の面白さでもあるのです。
日本人のクラシック音楽作曲家
今日では、私たち日本人は当たり前のようにヨーロッパ文化であるクラシック音楽に親しんでいます。では、日本人のクラシック音楽作曲家はいるのでしょうか? 実は、「本場のクラシック音楽」をバルトークやグリーグ、ガーシュウィンが自分の国らしくアレンジしたように(第2話参照)、日本にもちゃんとクラシック音楽作曲家がいるのです。例えば、滝廉太郎や武満徹といった作曲家です。
滝廉太郎は、日本にヨーロッパのクラシック音楽が輸入され始めた明治時代に活躍した作曲家です。彼が活躍した当時の日本は、まさにクラシック音楽の夜明けの時代でした。文明開化とともにクラシック音楽も日本に入ってきて、現代の日本の音楽環境の基盤ができ始めていたのです。滝廉太郎はドイツに留学して、本場のクラシック音楽に触れたりピアノを学んだりしました。そして、何と日本人作曲家として初めてピアノ独奏曲《メヌエット》を作曲しています。また、死の直前に作曲した最後の作品もピアノ曲《憾》でした。《花》や《荒城の月》など、誰もが口ずさめるような歌曲を作った滝廉太郎は、実は重要なピアノ作品も残していたのです。
武満徹は20世紀後半に活躍した作曲家です。明治時代に滝廉太郎たちが何とかして日本人としてクラシック音楽を作ろうと奮闘していたのに対し、20世紀後半(現代と言い表して良いでしょう)に生きた武満徹は日本におけるクラシック音楽の新たな地平を切り開いています。例えば、《ノヴェンバー・ステップス》はオーケストラと尺八や琵琶という和楽器のための作品です。その響きは独特で、彼独自の音楽世界を創り出しています。さらに、ストラヴィンスキーは武満徹の《弦楽のためのレクイエム》を絶賛しました。それは日本人作曲家が世界で認められ、クラシック音楽史に名を刻んだということを意味してもいたのです。
最後に
今回は高校生までに覚えておきたい作曲家10人、そしてこれまでの記事と合わせて30人の作曲家を紹介してきました。クラシック音楽史の道の中に点々と知り合いの顔が増えてきて、だんだん旅が楽しくなってきたのではないでしょうか? この30人の作曲家というのは、皆さんがピアノを弾く上で役に立つようにということで選びました。だから、弦楽器や管楽器、室内楽やオーケストラ、オペラなどの他の分野にはまだほとんど触れていないのです。ヴィヴァルディやマーラーにブルックナー、スメタナやドヴォルザーク、そしてヴェルディやワーグナー……。皆さんとの出会いを心待ちにしている作曲家たちは、まだまだたくさんいます。
次回からは、これまでに扱った30人の作曲家を1人1人紹介していこうと思います。ときどき寄り道をして、また知り合いが増えていって最終的には50人くらいになっているかもしれませんが……それもきっと旅の楽しさというものでしょう。
小野寺 彩音
小野寺 彩音 (おのでら あやね)
岩手県出身。
東京藝術大学音楽学部楽理科を経て、同大学大学院音楽研究科音楽文化学専攻音楽学研究分野修士課程に在学中。
学部卒業時にアカンサス音楽賞を受賞。
大学院では「オペラにおける道化」についての研究を行うとともに、オペラ演出を学ぶ。
5歳からピアノを始め、現在はピアノソロ作品に加え、オペラ・アリアや歌曲、ミュージカル作品など幅広い年代の声楽作品の伴奏の研鑽を積んでいる。