中学生までに知っておきたい10人の作曲家

これを読んでくれているのは、恐らく中学生以上の子たちが多いのかなと思います。きっと中学校に入ったことで勉強や部活で忙しくなったり、自分の世界がぐっと広がったりしたことでしょう。そうなってくると、クラシック音楽への興味も十人十色だと思います。音楽の授業が楽しみで仕方がない人、J-POPの方が好きだなあという人、ピアノを頑張っている人、吹奏楽部や合唱部に入っている人、音楽を聴いているよりもスポーツの方が楽しいという人…。いろんな人がいて当然です。だって有名な作曲家たちだって、別にクラシック音楽だけが大好きというわけではなかったのですから。今回紹介はしませんが、オペラで有名なロッシーニは美味しい料理が好きすぎて、早々に作曲家を引退して料理開発家になってしまったんですよ。

クラシック音楽は勉強しなきゃいけないものでも、肩がこるほど堅苦しいものでもありません。人それぞれの楽しみ方ができるものなのです。でも、クラシック音楽の世界はとても広くて深く見どころがたくさんあるので、いざ探検しようとしても、迷ったり難しいなと感じたりすることもあるかもしれません。そんなふうに皆さんが困ったときに、クラシック音楽の世界の中でちょっとずつ知っていることを増やしていくお手伝いができたら嬉しいなと思いながら、これを書いています。

 前回の小学生編では、J. S. バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、シューマン、リスト、ブラームス、ドビュッシー、ラヴェルを紹介しました。そして今回、中学生の皆さんに誰を紹介しよう…とさんざん悩みました。何しろ魅力的な作曲家たちが多すぎるのです。20人くらい紹介したい…!という気持ちをぐっと抑えて、この10人の作曲家を選んでみました。

①ヘンデル

②ハイドン

③メンデルスゾーン

④チャイコフスキー

⑤グリーグ

⑥サティ

⑦ラフマニノフ

⑧バルトーク

⑨ガーシュウィン

⑩ショスタコーヴィチ

画像:加藤タカシ(キリヌケ成層圏)より引用

時代と国

作曲家が生まれた年 その時代/人物(生まれた国・活躍した国)/出来事
1603 徳川家康が江戸幕府を開く 江戸時代の始まり
1685 バロック ヘンデル(ドイツ(後にイギリスへ))
1700年頃 現在のピアノの原型が発明される
1732 古典派 ハイドン(オーストリア)
1776 アメリカ独立宣言
1789 フランス革命
1809 ロマン派 メンデルスゾーン(ドイツ)
1830 ポーランド独立運動
1840 チャイコフスキー(ロシア)
1843 グリーグ(ノルウェー)
1848 ヨーロッパ各地で独立運動が起こる
近現代?
1866 サティ(フランス)
1868 明治時代の始まり
1873 ラフマニノフ(ロシア)
1881 バルトーク(ハンガリー)
1894 日清戦争
1898 ガーシュウィン(アメリカ)
1904 日露戦争
1906 ショスタコーヴィチ(ロシア)
1912 大正時代の始まり
1914 第一次世界大戦
1926 昭和時代の始まり
1939 第二次世界大戦

今回の10人は、もちろんバロック・古典派・ロマン派の作曲家もいますが、新しい年代の作曲家、よく近現代と呼ばれる時代の作曲家たちを多めに選んでみました。年表で近現代?と「?」をつけたのは、ロマン派だとか近代、現代の境目がとても曖昧だからです。よく19世紀がロマン派の時代と言われますが、それに当てはまらない場合もたくさんありました。20世紀に入ってからもロマン派らしい方法で作曲した人もいたし、19世紀の終わりくらいから、ロマン派までの伝統からはみ出るような挑戦的な作曲をするようになった人もいました。「この作曲家はこの時代の人だから、こういう音楽を書いたよね」ということが通用しなくなってきたのです。現代がどこからなのか?という問題もあります。時間は進んでいくものなので、自分たちにとっての「現代」はどんどんずれていくのですから。モーツァルトの時代の人々にとっては、モーツァルトの音楽が「現代音楽」でしたし、今私たちが聴いている最新の音楽だって、100年も200年もすれば歴史の一部になっているでしょう。そのように、ロマン派よりあとの音楽をバロックとか古典派のようにしっかりとラベルでくくってしまうのは非常に難しいのです。とりあえず言えるのは、19世紀の後半くらいからはラベルを貼るのが追いつかないくらい、クラシック音楽の作り方の種類が爆発的に増えていったということです。例えば、サティが今で言うBGMみたいな曲を作ってみたり、ガーシュウィンがジャズをクラシック音楽に混ぜ込んでみたりしていたのです。

作曲家が活躍した国の種類が一気に増えたことに気づいた人もいると思います。ロマン派あたりまでは、クラシック音楽の中心地はドイツやオーストリアやフランス、あとは歌やオペラが盛んだったイタリアでした。それらの国の音楽が言ってみれば「本場のクラシック音楽」で、その他の国々はそれを輸入して楽しんでいたわけです。でも、各地の人々は次第にその「本場のクラシック音楽」では満足できなくなっていきました。特に19世紀後半にヨーロッパの様々な国で独立運動が起こると、自分たちの国らしいクラシック音楽を作りたい!と願う人が増えていきました。そうして、例えばグリーグやバルトークは自分の国の民族音楽や民謡を「本場のクラシック音楽」に混ぜ込んで独自の音楽を作り出しました。そのように自分の国らしいクラシック音楽を作ろうと頑張った彼らは、今では「国民楽派」と呼ばれています。

女性の音楽家

前回と今回で合計20人の作曲家を紹介してきましたが、あれっと思った人がいるんじゃないでしょうか? そうです、20人も紹介してきたのにまだ1人も女性の作曲家が出てこないのです。これから先50人目ぐらいまで紹介していっても、ほとんど女性作曲家の名前は出てこないのではないかと思います。もちろん、名を残している女性作曲家もいます。クララ・シューマンやファニー・メンデルスゾーンなどです。名前から分かる通り、クララはシューマンの奥さん、ファニーはメンデルスゾーンのお姉さんなのですよ。彼女たちは優れた作品を作り、ちゃんと彼女たちの作品は今も残っています。しかし、有名な女性作曲家は彼女たちを含めてもほんのわずかで、男性作曲家の数とは比べ物にならないのです。なぜこれほどまでに女性作曲家が少ないのでしょうか?

これには、当時の女性の社会での立場が関係していると考えられます。私たちが触れているクラシック音楽が作られた当時は、女性の立場が今よりもずっと低い時代でした。きっと中学生の皆さんは社会の授業で習ったんじゃないかと思います。男女平等が叫ばれるようになるまで、女性には政治に参加する権利がなかったり、女性は家庭に入るものという考え方が強かったりと女性にとって不利な社会でした。現在ですら完全には解決していないのですから、当時はもっともっと大変だったのでしょう。そのため、作曲を含む音楽に関わる仕事も、伝統的に男性中心のものでした。オーケストラに女性が入れなかったり、女性がチェロを弾くのは好ましくないとされたりしていたのです(逆にピアノは女性のためのもので、貴族の娘たちが習い事で有名作曲家に教わることもありました)。そんな状況では、女性がたくさんの作品を作って、楽譜を出版して…ということがとても難しかったということが容易に想像できます。

 しかし、女性音楽家は縁の下の力持ちでもありました。彼女たちは作曲家としては、バッハやモーツァルトのようにものすごく有名にはなれかったかもしれません。でも有名な作曲家の陰には、彼らを支えた素晴らしい才能を持った女性音楽家がたくさんいたのです。さっきお話ししたクララ・シューマンは非常に有名なピアニストでした。彼女は夫であるシューマンが亡くなったあと、彼の作品を整理して世に広めていきました。そんな彼女をブラームスは良き友人として献身的に支えたのです。J. S. バッハの妻であるアンナ・マグダレーナ・バッハは歌手であり、非常に豊かな音楽の才能を持っていたと言われています。彼女はバッハの作品を手書きで書き写す作業をしていました。夫の作曲のやり方を深く理解できていないと決してできない仕事です。今日バッハの楽譜が残っているのは彼女のおかげでもあります。バッハの作品の中には、彼女が作曲したのではないかという疑惑があった作品もあるほどなのです。

このように優れた才能を持っていたのに、歴史の中に埋もれてしまった女性音楽家はたくさんいるのです。近年次第に研究が進んできているので、もしかしたら新たな女性音楽家が発見されることもあるかもしれませんね。

作曲家兼ピアニスト

今回までに挙げてきたような作曲家には、実はピアニストとしても活躍していた人が多いです。モーツァルトやベートーヴェン、ショパン、リスト、ラフマニノフ…。シューマンもピアニストを目指していましたが、練習のしすぎで指を壊してしまい、泣く泣くその夢を諦めています。ピアノではありませんが、バッハもオルガンの名手として有名でした。おもしろいことに、録音機器が発明されたあとの時代の作曲家だと、実際の演奏が残っていることもあります。例えばラフマニノフ自身の演奏なんかはCDが発売されていますし、Youtubeなどでも見つかるのでぜひ聴いてみてください。また、これを読んでいる人の中には、バッハの《インベンションとシンフォニア》を弾いている人もいるんじゃないでしょうか。今でこそピアノの練習のために弾かれることが多いこの作品ですが、元々はバッハが息子のために書いた作曲の教科書のようなものでした。ピアノを弾くということと作曲することは切っても切れない関係だったのですね。

 でも、今ではピアニストとして活躍しながら、世界的に有名な作曲家でもあるという人はあまりいないのではないかと思います。皆さんの中でもピアノを習っている人は多くても、普段から作曲をたくさんするよ!という人は少ないのではないでしょうか。バッハやモーツァルトが作曲もしてピアノも弾いて、時々指揮もして…というようにすごくオールマイティーだったのに、私たちの時代には作曲家は作曲をして、ピアニストはピアノを弾くということが多いのです。一体なぜなのでしょうか?

この変化の秘密を探るには、大体ロマン派あたりまでさかのぼらないといけません。ロマン派よりも前の時代には、作曲家が自分の作品を自分で演奏するのはある意味当たり前のことでした。そうやって、聴き手にアピールしていたのです。逆に、演奏される作品はその当時作られたものばかりで、例えばモーツァルトがバッハの作品を人前で演奏するということはあまりなかったのです。現在のような、「昔作られたすごいクラシック音楽!」をまとめて演奏するようなコンサートが一般的になったのは、実はロマン派くらいになってからなのです。そうしたコンサートが行われるようになって登場したのが、ピアノを弾くことを専門にするピアニストです。彼らの多くは、音楽学校で昔の有名な作曲家の作品を勉強し、一生懸命ピアノを練習してプロになっていきました。なんだか今と似ていますね。そうやって、作曲家とピアニストは別々の職業としての姿になっていったのです。

最後に

今回は中学生の皆さんに知っておいてもらいたい作曲家を10人紹介してきましたが、いかがだったでしょうか? あなたの中のクラシック音楽の世界がちょっとだけ広がりましたか? それとも、さらに疑問が増えたでしょうか?

 皆さんのクラシック音楽の世界の旅はまだまだ始まったばかりです。数えきれないほどの魅力的な作曲家や作品が、あなたと出会えるのを待っています。そんな素敵な旅を一緒に楽しんでいきましょう。

小野寺 彩音

小野寺 彩音 (おのでら あやね)

岩手県出身。

東京藝術大学音楽学部楽理科4年に在学中。

来年度からは同大学大学院音楽研究科音楽文化学専攻音楽学研究分野に進学予定。
オペラについての研究を行うと共に、オペラ演出を学ぶ。

5歳からピアノを始め、現在はピアノソロ作品に加え、オペラ・アリアや歌曲、
ミュージカル作品など幅広い年代の声楽作品の伴奏の研鑽を積んでいる。